渡辺 啓三
モンブラン(4,880m)はアルプスのほぼ西端に位置する西ヨーロッパの最高峰である。
最高峰であるばかりか、1786年のジャック・パルマとミシェル・ガブリエル・パカールによるこの山の初登頂がアルピニズム興隆の契機となり、1865年のウインパー等によるマッターホルン(4,478m)初登頂、さらには20世紀半ばのエヴェレスト等ヒマラヤ8000m峰登頂ラッシュに続いていった、登山史上記念すべき山である。
初登頂者パカールの銅像

麓のシャモニーの町(1,035m)や、観光ポイントのエギュー・ド・ミディ(3,842m)から遠望すると、頂上部はお皿を伏せたようなゆるい傾斜の、雪をかぶった文字通りの「白い山」で、とことこ登ってゆけば頂上に達することが出来そうな迫力に欠けた山に見える

近くのグランド・ジョラス(4,208m)や、エギュー・ヴェール(4,121m)、ドリュー(3,754m)、さらには誰もが知っているあのマッターホルン(4,478m)の威圧的な山容とは全く対蹠的で、これが「モンブランはいつでも登れる」といった安易な印象を私に与えていたのかもしれない。

モンブラン(左手奥) 手前はボゾン氷河  夕日のモンブラン 

7年前に初めてピッケルやアイゼンを買い求めて雪山を登り始めて以来、ネパール・ヒマラヤの5000〜6000m級の幾つかの山々、ロシアのエルブルース(5,642m)、アルゼンチンのアコンカグア(6,962m)、タンザニアのキリマンジャロ(5,895m)等に登頂。回り道をしてからの初めてのアルプスの山として、今年の夏、モンブラン登頂を計画した。

調べもし、話も聞いてみると、天気の悪い日が多いし、落石や雪崩による死傷者が毎年多数出ており、また「地元ガイドは客の脚力におかまいなしのスピードで引っ張りまわす(?)」等など、「よい年して、やめといたらどう・・・・」と親身のご忠告も頂いた。

(地元ガイドの名誉の為に付言するが、天候の急変するアルプスで、彼等は「スピード=安全」を信奉しており、「このスピードで登れないのならこの山に来る資格は無い。実力相応の他の山に行けばよい。それがあなたのためだ。」と明言する。"時間をかけて、休み休みゆっくり登る"スタイルはアルプスでは通用しない。)

「まあ、ともかく行ってみて、こちらの脚力も見て貰って無理なら他の山でも登って来よう」と、悪天候のための予備日だけは余分目にやりくりして出かけたが、案の定、1度目は猛烈なブリザードの為にヴァロ避難小屋(4,362m)迄で敗退。

2度目、3度目の登山計画は「山頂は秒速45mの強風」の天気予報で不発。楽しげに観光客が行き交うシャモニーの町でわびしく待機した。「登頂したら、ここで飛び切り美味い飯を食べてやろう」と目星をつけておいた料理屋の前を通るのも癪な気持ちである。
登山口に集まった山男達

パイヨ山稜の登攀

グラン・クーロアールのトラバース 周辺の山々
最後のチャンス」と賭けた帰国直前の4度目も、案内のイタリア系ガイド“ジジ”は「昨夜来の降雪で危険。風も強く今日も無理だ。まあ、途中まででも行ってみるか。」と心細い。半ば諦めの気持ちで、前日に登ってきていたグーテ小屋(3,817m)を未明の3時半に出発した。

強い風雪に登行を諦めて引き返してくるパーティーもあり、「我々も引き返そう」と“ジジ”が言い出すのではないかと懸念するが、幸い、黙々と登り続けてくれる。夜明け近く、ボス山稜のナイフ・リッジ(狭い箇所は巾30cm程か、靴1足分あるかなし)にかかる前に雪が止み、風も弱まったのは幸いだった。
雪崩の跡
第1回目に敗退したヴァロ避難小屋にも余裕で到着。ここから山頂へのリッジは、下からの眺望では予想もつかないほど狭い。

慎重に登り続けて到達した山頂は東西に50m程のリッジ状。文字通り"360度の展望"だが、なにしろ遮るもの無しだから風が強く、寒い。カメラのバッテリーも撮影中に上がってしまう。

朝日のボス山稜
山頂風景 山頂にて


気を引き締めて下山にかかる。後から上がって来る登山者と狭いリッジですれ違わなければならない。どちらも余裕は無い。一歩踏み外したらテラテラに光る氷壁をどこまで落ちることか。戦慄して、無言のまま足元に神経を集中する。

グーテ小屋に10時半帰着。7時間で山頂を往復したことになる。これはコースタイムの下限であり、ガイドともども満足する。エネルギー補給のためにスパゲッティー・カルボナーラを頼む。ガイドの"ジジ"は卵3個分の巨大なチーズ・オムレツを平らげた。

一休みして、昨夜来の雪の残るパイヨ岩稜を慎重に下り、落石の続くグラン・クーロアールも無事に通過。そこから先は、登山電車の終点であるニ・デーグル(2,386m)まで飛ぶように歩き、まだ陽のある内にシャモニーの町に下りて、"ジジ"と生ビールで心行くまで乾杯。これで終わった。

光輝く氷壁
グーテ小屋の食堂風景

今度の山行でお世話になったシャモニー在住の神田氏ご夫妻、岡村氏に登頂を報告。過分なことに、夕食を神田氏宅に招かれ、ご家族で登頂を祝って下さった。奥様の曰く「これだけ天気待ちをして粘った挙句だから、風が強ければ這ってでも登ってくると思ってました。」 ご心配をおかけしました。ありがとうございました。

翌朝、眠気まなこのまま搭乗したジュネーブ発チューリッヒ行きスイス航空の機窓に、はからずもモンブランの堂々たる山容が現れ、飽きることなく眺め続ける。「あぁ、この山に行って来たんだ。あそこを登ったんだ・・・。」

「山よさよなら、また来る日まで。」の思いのうち、機外には次から次へとアルプスの銀嶺が続いた。