“第9交響曲” |
|
伊賀健一 東京工業大学名誉教授 町田フィルハーモニー交響楽団コントラバス http://home.m08.itscom.net/iga/ |
|
筆者の所属する町田フィルハーモニー交響楽団は、今年二つの第9交響曲を演奏する*1。 ひとつは言わずと知れたベートーヴェンの第9、もうひとつはマーラーの作品である。 筆者の愛読書のひとつであるベッカーの著作*2によると、近代の交響曲はベートーヴェン(1770-1827)に始まり、マーラー(1860-1911)に終わるとされる。 ハイドンが交響曲の父と呼ばれ、確かにロンドン交響曲を最後とする104曲の交響曲を残したのは驚嘆に値する。モーツアルトは41曲の交響曲を書いた。しかしそれらの多くは小規模である。 さてベッカーによると、音楽が王侯貴族の趣味から、民衆のものとなったのはベートーヴェンによるというのである。 たしかにベートーヴェンの登場は18世紀における第1次産業革命による市民層の誕生と期を一にする。ジャン・クリストフの生き方がベートーヴェンをモデルにしたとされるのは納得がいく。200年を経てなお、その普遍性は失われていない。それどころか、人類愛の原理をわれわれに今も教え続ける。 2002年の秋に、町田フィルは沖縄県の宮古、石垣で第9を演奏した。両島ともフルオーケストラによって第9を演奏したのはそれが初めてであり、地元にできた合唱団もすばらしい声量で熱演した。 太陽を意味するマティダという言葉が町田との縁結びとなった。 ベートーヴェンから約100年が経過し、多くのロマン派、民族派の作曲家が交響曲を残した。19世紀の終わりに第2次産業革命が起こり、交通手段や通信手段が進歩し世界感が変わった。マーラーはそのような時代にブタペスト王立歌劇場や、ウィーンフィルの指揮者として生き、夏休みに多くの宇宙的なより広い世界感をもつ9つの交響曲を含む多くの作品を残した。 ところで、作曲家にとって第9交響曲とは何であろうか? ベートーヴェンが驚異的な精神力で9つの充実した交響曲を書いたために、その後の作曲家にとっての大きな目標となり、また大きな壁になったのは間違いない。 ブラームスの交響曲は4つだが、40歳にして最初の交響曲を書いたので、どれも密度が高い。ヴァイオリン協奏曲、2重協奏曲、2曲のピアノ協奏曲、ミサ曲はどれもシンフォニックであり、合計すると9つの交響曲に匹敵しよう。ブラームスにオーケストレーションを学んだドヴォルジャークは9つの交響曲を残した。しかしブラームスをして、“ドヴォルジャークの屑かごをさがすと交響曲が1曲は書ける”、と言わしめたメロディーの達人ドヴォルジャークにしても、交響曲のジャンルで完成域に達したのは、第8交響曲と第9交響曲「新世界」であろうから、いかに交響曲を書くのが難関であることがわかる。 シューベルトは第9まで行ったが、第8交響曲は未完成である。ブルックナーの第9は第1楽章のみが完成していて未完成だ。一楽章だけで30分以上もかかるのだから、全部できていたら聴くのも大変だったろう。 筆者が顧問をしていたころ、東京工業大学のオーケストラが東京駅のいわゆる駅コンで、この曲を大学オーケストラとして始めて登場したとき取り上げた。渋い曲だが、駅のドームによく響いた。 シューマン4曲、メンデルスゾーン5曲、チャイコフスキー6曲、プロコフィエフ7曲など、これら有名作曲家も第9には到達していない。 ショスタコーヴィッチが第9を書くに当たって、ソ連政府当局はベートーヴェンのような壮大な曲を期待したが、彼は軽妙洒脱な小規模の曲を書いて(1948)批判を買った。その後、オラトリオ“森の歌”を作曲し(1949)、栄誉賞をもらった。結局ショスタコーヴィッチは15曲の交響曲を残した。 なお、“森の歌”を町田フィルでは2004年4月の定期演奏会でとりあげた。“森の歌”は内容からみて、果たしてロシア本国で演奏されることがあり得るだろうか? 町フィルの公演は極めて貴重な試みと思う。 昨年、惜しくも他界した脳科学者・松本 元さんによると、人間の脳は目的に到達しそうになるか、もう少しのところまでくると機能が極端に低下し、身体の動きもそれによって活動が鈍くなるのだそうだ*3。 清原は巨人に入るのが目標だったので,目的を達した後、低迷したとその例に挙げられている。名選手イチローにして昨年200本安打を前に足踏みした、というのが、筆者の印象だ。 そこに人間へ立ちはだかる壁があり、それを超えるには強靭な精神と普段の努力を必要とするようだ。松本さんによると,より高いところに目標を置くのが良いそうだ。 ベートーヴェン以後、9つ以上の交響曲を書いた作曲家が数人しかいないのもそれを物語っている。日本人で,9つ以上の交響曲を残した作曲家がいるだろうか? 答えは多分ノーで、池辺晋一郎さんが1999年に第7交響曲を書いているのでもう少しだ。 さて,マーラーは第9交響曲を書き上げた後,第10交響曲まで進んだが未完に終わり、自身で破棄するように指示した。並はずれた精神力の持ち主であったに違いないが、ここにも第9交響曲の壁が立ちはだかった。彼の第9交響曲は大規模、長大で1時間20分以上もかかる。小澤征爾がボストン交響楽団を去るとき演奏し、人々が涙しながら聴いた名曲である。宇宙観と欧州にもある土着の趣が入り混じったマーラーらしさが凝縮された曲といってよかろう。最終楽章のアダージョは魂の雄たけびに近い。そして、最後には永遠の静へと回帰するのである。 【参考】 *1 町田フィルハーモニー交響楽団の第9交響曲演奏予定 http://home.n01.itscom.net ・マーラーの第9:2004年10月3日(日)14:00開演/町田市民ホール 指揮:十束尚宏 ・ベートーヴェンの第9:2004年12月19日(日)14:00開演/町田市民ホール 指揮:荒谷俊治 *2 パウル・ベッカー:“ベートーヴェンよりマーラーまでの交響曲”,音楽の友社,1952. *3 松本 元:“愛は脳を活性化する”,岩波書店(岩波ライブラリー42),2002. 写真: 町田フィルハーモニー交響楽団のベートーヴェン第9交響曲(1996年,町田市民ホール) |
|