渡邉 啓三


メラ・ピーク頂上からエヴェレスト・マカルーを眺む   撮影:渡邉 啓三(つくし野1丁目)







家内の理解のお蔭で、ヒマラヤ行きも5度目になりました。

今度のターゲットはメラ・ピークです。

ネパール山岳会発行の登頂証明書によれば6654メートルのこの山は私にとっての最高到達地点であり、67歳で初めてピッケルを握り、アイゼンを付けた身としてはこのへんが限度かなと自分でも思っていましたので、感慨深い山行となりました。
何にせよ、「基礎体力さえつけてきてくれれば、技術的なことはこちらがカバーするから」というガイドの言葉を頼りに、経験不足・技術未熟をガイドとポーターの皆さんのチームワークでカバーして頂いての登山ですから、私はチーム・ワタナベの一員でしかありません。でも、云うならば、F−1・レースチームのドライヴァーにあたる立場ですから、私がこければ皆ががっかりするわけで(現実的問題としても、登頂の成否はガイドやポーターへのお礼の金額に影響しますから)、彼等のためにも登頂を果たさなければの気持ちになりました。
また、そういう気持ちにさせるくらいに、ネパールのガイドやポーターは献身的で心情が温かいのです
ガイド頼りの登山とは云うものの、今度のメラ・ピークは、今までのカラバタール(5550m)、ゴーキョ・ピーク(5360m)、ノビ・ビュー(5563m)、アイランド・ピーク(6189m)等に比べて、格段に登り甲斐のある山でした。

これは、私が歳を取って体力的に衰え苦労したということではないと思います。やはり、トレッキング開始早々に4600mのザトルワ・ラ峠を越さねばならず高山病のリスクが高いことからの緊張感、家ほどの巨岩ごろごろの荒荒しいヒンク・コーラ渓谷、谷の両側から被いかぶさるようなメラ・ピーク西壁はじめ6000m級の氷雪の山々、往々目撃もした頻繁な雪崩の発生、メラ・ラ峠から上部に展開する果てしない大雪原、そこに待ちうける無数のクレバス等々、ガイド依存では解消し得ない緊張を強いられた山行の結果であると思います。


殊に、9月ー10月と並んで登山の適期とされる4月末ー5月初にかかわらず、連日,午後から雪が降り出し、先行パーティーのトレースが全く消されてしまうばかりか、随所にあるクレバスがこんもりと新雪に被い隠され、一歩、一歩に注意を必要とした悪天候によるところが大きかったように思われます。


高山病に注意し、慎重に高度を上げて行った為、登頂に要した期間は計19日。

それでも、アタック当日は、午前1時に5800メートルに設けたアタック・キャンプを出発、8時半登頂、下山時にアタック・キャンプを撤収して5000メートル地点のベース・キャンプに帰着したのが午後5時半。その間ほとんど何も食べなかったように記憶します。空腹も意識されず、食欲もわかず、そういえば小用にもあまり行かなかったのではないでしょうか。

幸い、山頂近くに到達した時点で、夜来の雪が一時的に止んで青空が広がり、快晴とは言えませんでしたが、エベレスト、チョー・オユー、ローツェ、ローツェ・シャール、マカルー等の8000メートル級の山、5座を展望することが出来ました。

ヒマラヤ有数の展望台の名に恥じない眺望でした。

ベース・キャンプで待っていたポーター達によれば「今日は雪が激しいから,登頂できないのではないか」と話し合っていたそうですから、運が良かったのでしょう。


登山基地のルクラに下山後、カトマンズへの小型飛行機が濃霧のために欠航したこともあって、ポーター達との打ち上げ会を二晩に亘って行ってしまいました。次にこの人達と会うのは、何時、何処の山に登りに来るときか、そのようなときがあるのか、ちょっと淋しい思いも心の片隅にして、ネパール民謡を共に歌い、足を踏み鳴らしてめちゃくちゃ踊りを続けました。

ポーター達も、こんな時にしか飲めない上等の?"エベレスト"ブランドのネパール製ウイスキーを実に美味そうに飲んでくれました。ガイド1人、ポーター3人、コック他4人。
皆な良い人達でした。      感謝の気持ちで一杯です。
遅咲きの高齢者トレッカーですが、私の心の中でヒマラヤは永遠の存在になったようです。

  さようなら、ヒマラヤ。また来る日まで、さようなら。

5800m地点からの眺望  撮影:渡邉 啓三(つくし野1丁目)




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