「能と私」

小林 俊雄


  2003年 、能は無形世界文化遺産に登録されました。
「能」とは何でしょうか?それは舞台総合芸術なのです。西洋のオペラに非常に構成が似ています。我が家の玄関前にお住まいだった東 敦子さんのオペラの日本版というところでしょうか。 今、その旦那様 二田原英二さんは宝生流の謡いを謡っていらっしゃいます。

  観阿弥・世阿弥が1360年から1430年の間、足利義満に庇護、寵愛を受けながら創作し、普及の芸術にまで洗練して、昇華させた日本独特の美、幽玄の表現方法による歌劇といえましょう。

 私がこの世界に飛び込んだのは、15歳の始めと思われるほどに古い昔のことになってしまいました。私の先生は(宝生流なのですが)、家元に最も近い存在の宝生会役員・佐野萌先生です。重責を担っているので、年間の出演回数が60回は軽く越えていると思われます。

  さて、この能ですが、その構成員は「シテ・ツレ・地謡方」と「ワキ役」、「狂言方」、「囃子方」からなっています。私たちはこの内、「シテ・ツレ・地謡」を担当するのです。15歳からこのかた50年間、ちょうど半世紀の間、シテの勉強を仕事しながら続けて今日にいたりました。長くもはるばるやってきた感を深くしています。
  能は、神能から鬼畜能まで、厳かなものから恐い激しいものまで色々のバライエティーに富んでいますが、  それらを一つずつこれまでこなして、5種類の能のうち、4種類の能を上演してきました。
  「初番目の能」、神能では京都の「嵐山」という曲で、桜の景色と蔵王権現を表わし、「二番目の能」修羅物では富士のすそ野の「小袖曽我」で、曽我兄弟の敵討ちを舞いました。「四番目の能」、狂い能では九州喜界が島に流された「俊寛」を演じ、「五番目の能」、鬼畜物では光源氏との愛の相克を「葵上」という曲で表現しました。

  実は「三番目の能」だけ最後に故意に意識的に残していたのです。それは世阿弥が「色々な能を演じた後に始めて三番目の能をキッチリと上演できるものだ」といっていたからなのです。やっと2004年の4月18日(3時半ごろから)に、水道橋能楽堂(JR駅より徒歩2分)にて上演できる運びとなりました。
  私の65歳の記念に、芸暦の一里塚になればと思って張り切って練習に励んでおります。曲目は「大原御幸」。
 平清盛の娘、平 徳子は、高倉天皇の妃になり安徳天皇を生みますが、平家は敗れ、ついに死ぬこともままならず、大原寂光院に平家の弔いのために生き残ることとなります。そこへ御白河法皇がひそかに御幸なさり、徳子から六道輪廻の、天国から地獄に至る生涯を聞かされ、人間如何に生きるべきか?を悟ります。
  この能という表現形式の中で、「幽玄」の占める位置は、重要なものとなります。
入場料は無料で、すべて経費はシテ、主人公の私が一手に負担して発表する一大イベントですので、つくし野の皆さんに限らず、御家族・親戚を含めて、春のひとときをご来場下さいましたら大変に幸せと思っております。

  是非、日本の世界遺産「能」に触れていただきたく切望いたします。
  興味のある方は詳細を 042−796−4772 までどうぞ。