私記  つくし野セントラルパークでラジオ体操をしてみませんか


荒井康全

私のあさの散歩、 習い事のレッスンをwalkmanで聞く。

はじめは 歌の腹式呼吸の練習にこの散歩を当てていた。

その内ラジオ付きウオークマンを携帯する。
ラジオのNHK第2放送で お話しごとを流し聴く。
FENを流し聞く.こちらの方が先だったか

やがて ラジオ体操。

六時半のオンタイムで その場所で体操を始める。毎日ことであると 自然に場所は一定してくる。


95年の入院 鼻の大手術以来 たばこをやめた、はたして
その年の秋までに 体重が5キロ増え、以後3年間でさらに5キロ増えた。
そのために 週末の早朝散歩をはじめた。
やがて 毎日の散歩になった. 
つくし野は セントラルパークの木蔭が好い。


ある日、一緒にリズムにあるひとを知る.Yさん達でであった。
Yさんたちが夏のこどもの体操のお世話をされていた。
そして、それ以降 連続して続けるラジオ体操がはじまった。
2003年の夏のことであった.。

だれが、いつまでやるといったことは 誰も語ろうとしなかった。 
自分が できる範囲で できるところまでやる という暗黙のサインがあったように思う。

Yさんは 自治会の文化担当部長で その活動の一環が動機であったろう。
わたくしは、あくまで個人  
様子のよい婦人たちからの依頼で 勝手気ままでご一緒した。 
よびかけで当初から十人を越えていた。
この公園のある地区の自治会の防犯担当の男の人たちも常連となられた


ここで ながらく、太極拳に精進なされているTさんが ラジオ体操にも参加された。

わたくしも Tさんの太極拳への弟子入りを決め込んだ。
六点鐘が朝を告げるときに これが始まる。

そしてラジオ体操へとつながる。

O夫人、K夫人、I夫人たちが 入門される。

体操あとの逍遥が楽しい.パークの一番高いところから 冬の山々を望見する。
この逍遥の常連である岡部谷戸のO夫人からこの地から望見できる山並みの展望図が提供された.最初のテーマは 山の所在を 確かめることから始まった。
伊豆の大室山から、大山、丹沢、その裏におおかた隠れる富士、大菩薩嶺、三頭山等数十の峰が見えていることが分かった。
そして 空気の澄んだ寒い朝に、遥か、なお霞みと見まかう笹子峠越えの甲斐の山を‘幻の山’と愛でること、はたまた冬と夏の月齢二十六夜に女人が登るという道志山系の峰など新鮮な切り口が語られた。

有志での遠足なども 企画された。そのいくつかを思い出すままに上げると
二十六夜山、登山ことはじめ
鳩ノ巣奥多摩 秋の遠足、
八王子 高尾山の紅葉に遊ぶ
臨海副都心虹橋、短日の黄昏
吉野梅郷の早春を行く などであった。


「ラジオ体操を毎日やっている。太極拳をやっているひとがいてラジオ体操に加わっている。ある日 太極拳のなかに加わってみる。 ラジオ体操もいい、これもいい。 いいことは ともかくやろうじゃないかとおもった。 このとき『柔軟な日本(人)』ということばが脳裏を掠めた。
イラクでの日本人人質問題では おそらく世論がふたつに割れた。いろいろなことが現象としてあらわれた。」
これは、そのころのメモである。


Viva健康 Viva ラジオ体操である。

お気軽に ご参加ください。

蛇足であるが ダイエットも効果をあげ、ズボンのベルトの穴のピッチがスリム側に定着しようとしていることを付け加えたい。
                                おわり

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