信州蓼科歴史文学散歩
黒 津 一 英

まえがき


 クラブはんどれっどで初めての一泊旅行「信州蓼科ツアー」に参加した。

 ツアーで行われた「霧ヶ峰ウォーキング」には、深い思い出がある。50年前、今は亡き父と義父と三人で諏訪湖を訪ね、霧ヶ峰に登り、高原の草むらに腰を下ろし、雄大な景色を眺め、写真を撮ったことである。その写真は今でも机上にあり、時折、眺めている。

 今回のツアーは、はんどれっど会員15名でバスを利用し、蓼科に泊まり、蓼科湖、白樺湖、諏訪湖を周遊、夜、日本一のホタルの群生地を見物、翌日は、車山山頂、八島ケ原湿原を回り、午後は諏訪に出て、片倉館の千人風呂に入浴した。
 以下、当時の模様を記し、今後この計画を実行する方の参考に供したい。

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 バスは 6月18日 8時30分 つくし野駅前を出発、国立府中インターから中央道へ出て12時頃諏訪インターチェンジを下車、蓼科方面に向かった。
 大月、甲府を過ぎ、韮崎にさしかかると、前方に 八ヶ岳(2,899mm)、駒ヶ岳(2,966m)、仙丈岳(3,033m)、白根山(3,192m)、塩見岳(3,047m)と続く南アルブス連峰が見えてきた。
茅野市花蒔で、本格石臼手打ちそば「登美」の暖簾をくぐり、信州そばを十二分に味わう。

 バスはピ−ナスライン大門街道をひた走りに走り、14時30分、ハーヴェストクラブ蓼科に到着した。
 幹事の説明によると、別荘地 蓼科高原は総面積50万坪、見事に舗装された道路は総延長50粁に達し、林に囲まれた蓼科湖周辺のたたずまいは見事であった。

 ホテルでしばし休息した後、ホテルの前を散歩した。森閑と静まり返った林のなかに野原が広がり、辺りは音一つしない。

 18時、ホタル見物のためホテルを出発した。1時間ほど高原を下ると右手に諏訪湖が見えてきた。すでに日は西に沈み、辺りに夕もやが立ち込め、湖面に対岸の町の灯が投影しキラキラと輝き、まさに一幅の絵のようである。

 バスは天竜川に沿い進む。次第に川幅が狭くなり、やがてホタルの群生地に到着した。
折からホタル祭りの真っ最中で、入り口には天幕が張られ、明かりが灯され、役場の人が受付、案内をしていた。群生地の入り口で、見物人は入場料300円を支払い中に入る。
 橋の上にはホタルの見物人が集まり、今か今かとホタルの現れるのを待っている。やがて草むらの中に1匹、2匹とホタルが光り、その度にひとしきり歓声が上がる。20時近くなると、辺りはとっぷり暮れ、ホタルの数も10匹、20匹と増えてきた。1匹のホタルが、黒い服を着た人の襟に止まり動かない。さながら勲章のように襟元で輝いている。そのうち2匹、3匹とホタルが飛び交い、ホタル見物は最高潮に達した。見物人も逐次増え、総勢数百人を超えた。
 20時過ぎ、ホテルに引き上げる。途中、草むらの上をホタルが飛び交い、さすが日本一のホタルの名所である事を実感した。


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 翌朝は7時30分、ホテルに隣接したゴルフクラブのテラスで朝食をとった。危ぶまれた天候も回復し、雲間からもれる朝の光は辺りに満ち、野も林も緑に彩られ、朝食を取る我々を柔らかく包んでくれた。
 8時30分ホテルを出発。バスは右に左に霧ヶ峰の美しい稜線を縫うようにして進み、9時30分、車山山頂に程近いコロボックルに到着した。ここから八島ヶ原湿原に向かう。
 1時間程で、湿原に到着した。鷲ヶ峰(1,798m)、丸山、大笠峰(1,807m)等の山々に囲まれた湿原は、約1万2千年もの歳月をかけて形成された広大な泥炭地で、八島ヶ池等が点在し、まさに一幅の絵と言ってよかった。湿原の回りを囲む木立ちを進み、亜高山植物を観察したが、時期が早く、色とりどりの花に接することができなかった
 12時、コロボックルに戻ると小雨が降ってきた。山の天気は変わりやすい。近くの喫茶店に入り、コーヒーを飲む。その味は素晴らしかった。
 バスは再び高原を下り、諏訪湖を右手に眺め、往年、片倉製糸が操業した当時の面影を今に残す諏訪に入った。

 霧が峰から上諏訪に下りる途中に、角間新田(かくましんでん)を通過した。藤原寛人(本名)氏がそこで生まれ、次男であったことから、「 新田次郎 」のペンネームにしたといわれる。 歌人「島木赤彦」の生家前(諏訪市元町)も通過したが、銘酒「真澄」で有名な宮坂醸造の本店の方に目を奪われてしまっていて、当クラブ会員はそれどころでなかった。

 片倉館千人風呂は現存し、我々も入浴した。建物は、昭和初期のクラシック建築そのままで、これを眺め、感無量であった。幹事の説明によると、当時、女工達は立ったまま湯につかったと言う。恐らく大勢の女工達を一度に沢山入浴させるための手段の一つであったのであろう。千人風呂の壁の隅には、ギリシャ彫刻があり、ローマ風呂の雰囲気を辺りに漂わせていた。

 昼は、有名な峠の釜飯屋(荻のや)に入った。味は素晴らしかった。

 14時45分、諏訪を出発。中央高速道で国立府中インターチェンジに向かう。バスはスピードを上げ、他の車を次々と抜き、矢のように走った。

 翌日、幹事のメールに次の言葉があったが、全く同感であった。

 「小生に誤手配があり費用が加算された点お詫び申し上げます。
運転手に過剰接待となってしまい、その所為か、復路はカナリSPEEDでのサービスがあったように感じたのは 俺一人」

 さて、スピードアップで4時半につくし野に到着、実り多き「信州蓼科歴史文学散歩」は、ここに終りを告げた。
平成19年7月5日 記