いぶすき 玲

T.ネパールへの道

  「エベレスト街道・トレッキングにヒマラヤへ行ってきます。」などというと、「すごいね!」と言われましたが、その実態は、完全なる「大名旅行」、トレッキング(ヒマラヤでは6000m以下は、登山とは言わない)だけに関して言えば、日本の3000m級の山々の方がはるかに苦しく、大変です。

 我がヒマラヤン・マスター渡辺師(5度目のヒマラヤ 参照)の詳細なるレクチャーを受け、2005年11月6日早朝、10年来の夢であった、ヒマラヤの山々と出会うためネパールへと旅立ちました。

 世界最貧国といわれているネパールでは、国際線を飛ぶ飛行機は、全部で2機しかないそうで、そのうちの一機が、関空⇔カトマンズを飛んでいます。


 ちなみに、ネパールの王様の財産は、もしかしたらエリザベス女王をも凌ぐかもしれないそうです。(ガイドの高久女史談)。
    これって、いったい!

 羽田→関空→上海→カトマンズと乗り継ぎ、カトマンズで一泊のあと、早朝5時に起きて国内線に乗り、ルクラまで飛び、ようやく歩き始めます。


U.ルクラ(2,840m)からパグディン(2,610m)へ

 なにしろ大名旅行の私たち、飛行機から降りたら、すぐにお茶をします。荷物は、1つはカトマンズのホテルに置いておき、トレッキング中に必要なものは大きなドラムバッグに入れてポーターに持ってもらい、自分では飲み物と防寒具とカメラぐらいを持つだけです。

 私たちのトレッキングチーム構成は、メンバー9人、ガイドの高久女史(在カトマンズ30年)、サーダー(シェルパの親方)、シェルパ2名、コック、ポーター3名、キッチンボーイ3名といったところです。









 ルクラからパグディンは下ったり上ったりですが、全般的に下りなので、比較的楽ですが、高地に慣れるという事が大事です。街道には、大人も子供もいっぱい。学校や、仕事は?それよりもっと多いのが、牛(荷物の運搬)。 道には牛さんの大量の落し物。うっかり、山も眺めていられません。
 ランチの時間になると、この日は素敵なオープンテラスに、シェルパが持参してくれた、おにぎり弁当が用意されています。そして、ティー。お茶は、高山病予防に何より大事で、積極的に飲まなくてはいけません。
 山での第1夜は、「TASHI・TAKI」というロッジ泊。ベッドルームには、寝袋と湯たんぽが用意されます。夜トイレに行くときは、真っ暗なので、ヘッドランプを付けていきます。朝起きると、お茶と、洗面器に半分のお湯が配られます。たったそれだけで、歯を磨いて顔を洗います。

V.パグディンからナムチェバザール(3,440m)へ















             タムセルク                           アマダブラム

 パグディンからしばし、ドゥードコシ川沿いの道を歩きづつけると、ようやく目の前にクーンブ山群のタムセルクが現れます。この日のランチはモンジョという所で、ラーメンやパスタがでました。コックさんが作ってくれるものは、みな私達の口に合うものばかりです。
 ここからナムチェバザールまでが唯一といっていい、登り坂の苦しいところですが、わたしにとっては楽々!?
ナムチェバザールでは、その名も「シャングリラ」という、新設のロッジでした。

W.ナムチェバザールからホテル・エベレスト・ビュー(3,880m)へ

 ナムチェからは、クーンブ山群の展望のよい山道を歩きますが、なに分、きな粉道。帽子とサングラスとマスクは必需品です。

 途中アマダブラムを見ながらのランチを済ますと、サーダーとシェルパ一人を残し、あとのスタッフとはお別れです。

ホテルへの道は、ハイキングのようなものですが、高山に違いないので、ホテルに着いて一休みしたあと、酸素量を測ります。
幸いわたしは、ボーダーラインの70%よりかなり多い81%でした。70%以下の人は、酸素を30分〜1時間吸います。
 ホテルからの景色は、文字通りエベレスト・ビューですが、あまりの寒さに景色を楽しむとか、星空を見るとかいう気分にはなれませんでした。


X.クンデ・ピーク(4200m)をめざす

 クンデ・ピークなんて言っていますが、地図には載っていません。クンデという村の一番高いところといったところです。彼の国では5000m以下の山になんか名前はほとんど付いていません。
 ピークに到達したのは3人、私以外の女性2人は、馬をチャーターして途中のビューポイントまで、ホテル待機が3人でした。とりあえず、目標のところまで行けて良かった!
 この日の夕方は、寒さにも慣れて、夕日に赤く染まるエベレストやローチェを堪能しました。赤から紫そして漆黒に変わる大パノラマは形容しがたいほど美しいものでした。

































Y.シャンボチェからカトマンズへ

 帰りはヘリコプターで、いっきにカトマンズまで飛び、40分の遊覧飛行を大いに楽しみました。空から見るカトマンズは、厚い雲に覆われています。ヒマラヤの突き抜けるような青空を、多くのカトマンズの人々は知らないのだろうと思います。




 カトマンズでは、世界遺産のボダナート、スワヤンブナートという、2つの仏教寺院を見学しました。いわゆる目玉寺院です。ここでも、小さな子供たちが一生懸命物売りをしていました。その中の一人の少年にひどく気に入られて、ずっと付いてこられたのですが、たった180円くらいの物しか買ってあげませんでした。今、考えたら、もっと買ってあげればよかったと・・


 カトマンズでは、豪華ホテルに泊まって、バスタブにたっぷりお湯を張って山の汚れを落とし、日本への帰途についたのでした。

 長いこと、あこがれていたヒマラヤでしたが、わたしの心に深くきざまれたのは、美しい山々より、ネパールの人々の暮らしでした。あんな美しい山を持ちながら、楽しみのために登るなんてことは考えもしないのではないかと思います。
 いつか、ネパールの人々がもう少し豊かに暮らせるようになってくれたらいいのにと、願わずにいられませんでした。
*トレッキング(「山歩き」のこと)

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